みなさまこんばんは
生きること おつかれさまです
岡山萬天堂の葉です
どんどん2025年が近付いてきていますがマイペースにセラピストをさせて頂いております。
さぁ始めようか。
少し前にね、
『自分に自信を持つことは性格的になかなか難しいのだけれど、褒めてくれる人を大切にする為にも過信ではない自信を、自分の中にそっと忍ばせておくことで言動をより良いものへ昇華していきたい。』
というポストをしたのですが、自信と過信の境界線ってどんな具合?っていうのを自分なりに考えてみました。
自信を持つことは大切な事ですが、一歩間違えると過信になりかねない。過信。つまり自信を持ちすぎると、対相手に違和感や不快感を与えてしまう可能性があるんだというふうに考えています。それは、自分の中のイメージと、相手が見えているものにギャップがあるからだと思います。
A 『俺、かっこいいでしょ?』
B 『いやそれほどでも…』
C 『うん!かっこいい!』
これはBからしたらAは過信していると捉えられるんでしょうね。
でもCとしては、Aは自信もってるなぁ!程度で済むのでしょう。
そもそも相手にどう思われても自信満々な人もいて、有言実行で理想に寄せていく。自信を先に持って、そこに努力で追いつく。そういう姿勢も素敵だと思います。
前述のポストのように、僕はその考え方はあまり得意じゃありません。うわぁ…って思われるのがしんどいから笑
だから僕の考える境界線、いわば僕の中での境界線は、
自信とは、基本的に自分の中に留めておくものと、他者からの評価を受け入れることで成立する。ある種の答え合わせのように。カッコいい人。
過信とは、誤った自己評価と盲目性がそうさせて、周りからどう見えてるかを冷静に考えられない人。痛い人。
みたいな感じ。
常々思うのは、まずカッコ悪い生き方をしたくないしダサいことしたくないわけ。痛い人にもなりたくないの。
本当の自信をもっている人はひけらかさないだろうし、周りが評価する。結果が表す。カッコいいと思うの。
だから胸の内に留める。評価は有難く受け止める。
それでいいんじゃないかなって思うのです。
目の前にいるあなたが僕を評価してくれたら良い。
それは自信か反省につながりこそすれ、過信には届かない。それでいい。
これまでの評価を受けて、過信ではなく一握りの自信を胸に秘めてセラピストをがんばりたいと思います。
眠いから文章変かも。ごめん。おさしみやさい🥦
写真は全然関係ないけど好きな言葉。
さて、僕の闇はあなたの光になり得るか?
おしまい