世界の皆さん、こんにちは🌏
人生は有限である。
誰にも等しく、いずれ必ず死が訪れる。
当たり前で誰しもが物心ついた頃には理解している至極当然の事実であります。
しかしこの限られた数十年あるいは100年と少しの人生を長いと捉えるか、短いと捉えるかは己次第。
時間の経過とは、こと地球の重力化においては人類ほぼ皆等しいものであると、アインシュタインが光と相対して証明しました。
しかしながら、皆が等しく感じる時間の経過上においても、人生の終着を遠いと感じるか近いと感じるかは人それぞれなのです。
僕は完全に後者であり、毎朝起きるたびに自分の人生が1日減ったのだと、どこかネガティブになりその日1日を無駄にしないように焦るのであります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
織田信長が好んで舞った幸若舞「敦盛」の一節で、桶狭間の合戦に臨む前に舞ったとされています 。
現代の言葉に意訳すれば、
「人間の50年間は天界の時間と比べて短いものであり、夢幻のように儚いものだ 」
といったところでしょうか。
よくこの一節を、「人間の寿命は(当時)50歳であり、信長はその目前である49歳で命を落とした」と解釈されることがありますが、実際はそういう意味ではありません。
天界での1日は人間界の50年に相当することから人の一生の儚さを歌ったものであり、寿命は関係ないとされています。
とて、人は天界に比べればどう足掻いても儚いこの人間という生き方を、少しでも延命しようと科学を発展させ努めてきました。
本能寺で自害した信長の最期の言葉は、
「是非に及ばず」
が有名です。
これは「善悪をあれこれ論じるまでもなく、そうするしかない、仕方がない」という意味です。
この真意は、やりきったという達成感か?それとも後悔か?
僕はこの自らの短い(と僕は感じている)人生において、やはり後悔なきよう、この命を燃やしつくしたいと日々思います。

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