昨日の夜ごはんは、久しぶりにちゃんと作った。鶏肉と大根を煮て、味噌汁とごはんをつけた。煮物は時間がかかるけど、コトコト煮ているあいだの台所の匂いが好きだ。音楽を流しながら、ときどき鍋をのぞく。その時間がいちばんのんびりできる。
写メ日記
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滝の投稿
煮物
05/30 08:10 更新
天気に左右される体
05/29 08:51 更新
気圧や湿度で体調が変わるのは、気のせいでも甘えでもない。実際に体は天気に反応している。低気圧の日にだるくなる、雨の前に頭が痛くなる、湿気で気分が沈む。自分の意思とは関係ないところで、体は環境にちゃんと応答している。
それを知っているだけで、少し楽になる。今日のだるさは自分が怠けているからじゃなくて、天気のせいかもしれない、と思えると、自分を責めずに済む。原因が外にあるとわかれば、対処も変わってくる。
体が天気に左右されるなら、無理に逆らわないのがいい。低気圧の日は予定を詰めない、雨の日は早めに休む。自分のコンディションを天気予報みたいに把握して、それに合わせて過ごす。体は機械じゃないから、毎日同じパフォーマンスを求めなくていい 🫧
気をつかわせない関係
05/28 08:48 更新
誰かと一緒にいるとき、相手に気をつかわせていないか、というのは案外大事なことだと思う。楽しい時間でも、ずっと気をつかい続けていると、終わったあとにどっと疲れる。逆に、気をつかわなくていい相手といると、何時間一緒にいても疲れない。
気をつかわせないというのは、放っておくことじゃない。相手が自然体でいられるように、こちらが先に肩の力を抜いておくこと。自分が構えていると、相手も構える。自分がゆるんでいると、相手もゆるむ。
だから、誰かにくつろいでほしいと思ったら、まず自分がくつろぐのがいい。もてなそう、楽しませようと頑張りすぎると、かえって相手を緊張させてしまう。何もしなくていい空気を、自分の側から作っておく。それがいちばんのもてなしだったりする 🤲
楽しみが見つからない時期
05/26 09:21 更新
人生には、なんとなく平坦な時期がある。落ち込んでいるわけでも、つらいわけでもないのに、心が大きく動かない。何を見ても、ふうん、で終わってしまう。そういうとき、楽しみがないことに焦って、無理に予定を入れたり趣味を探したりしがちだ。
でも、心がフラットな時期というのは、たぶん体や心が省エネモードに入っているんだと思う。大きく動くだけのエネルギーを、今は使いたくない、と内側が判断している。それはそれで、自然なことだ。
楽しみは、探しにいくと見つからないのに、ふとした瞬間に向こうからやってくることが多い。いい音楽にふと耳が止まる、空がきれいだなとふと思う。その小さな揺れを見逃さないでいれば、平坦な時期もちゃんと過ぎていく 🫧
沈黙を埋めなくていい関係
05/25 08:36 更新
人と一緒にいると、沈黙が怖くなる。何か話さなきゃ、間を持たせなきゃ、と焦って、当たり障りのない話題を必死に探す。沈黙イコール気まずさ、という思い込みが、いつの間にか染みついている。
でも本当は、沈黙が心地いい関係というのもある。むしろ、長く一緒にいられる相手ほど、黙っていても平気だったりする。無理に言葉を埋めなくていい、というのは、相手を信頼している証拠でもある。
沈黙が怖いのは当たり前だ。それでも、ここでは黙っていてもいいんだ、と感じてもらえたら、それだけで距離はぐっと縮まる。言葉の量より、黙っていられる安心のほうが、ずっと深いところで人をつなぐ気がする 🕊
完璧じゃない日にできること
05/23 09:06 更新
予定通りにいかない日は、わりとよくある。電車が遅れる、時間が足りない、思ったより疲れている。そういうとき、もう今日はだめだ、と全部を諦めてしまいたくなる。完璧にできないなら、いっそやらないほうがまし、という気持ち。
でも、八割でも六割でも、やった分はちゃんと残る。短い時間でも体は少しほぐれるし、五分の散歩でも気分は少し変わる。ゼロか百かで考えると、たいていのことはゼロになってしまう。
完璧な条件が揃う日なんて、そうそうない。だから、できない理由を数えるより、今日できる範囲はどこまでか、と考えるほうがいい。中途半端を許せるようになると、続けられることがぐっと増える 🍃
紫陽花
05/22 09:31 更新
帰り道、商店街を抜けたら花屋の前に紫陽花の鉢が並びはじめていた。まだ色は淡いけれど、もうそんな季節かと思った。切り花を一本だけ買って、家のコップに挿した。それだけで台所の空気が少し変わる。
余韻
05/21 09:04 更新
何かが終わったあと、すぐに次へ切り替えなきゃいけない場面が日常には多すぎる。映画を観終わってもすぐにスマホを見て、食事が終わればすぐに席を立って、会話が終わればすぐに次の用事に向かう。余韻に浸る時間が、どんどん削られている気がする。
でも、余韻というのは案外大事なものだと思う。体験したことが自分の中に落ち着くまでの時間。それを飛ばしてしまうと、せっかくのいい時間も、ただ通り過ぎただけになってしまう。
だから、すぐに動けない人を見ると、ああちゃんと余韻に居られる人だな、と思う。立ち上がるタイミングは自分で決めればいい。誰かに急かされて区切る必要なんてない。終わったあとの数分を、自分のために使ってあげていい 🫧
その日の自分に合うやり方
05/20 09:23 更新
いつも同じ強さがいいわけじゃない。元気な日にはしっかり押してもらうのが気持ちいいけれど、疲れすぎている日にそれをやると、かえって体がびっくりして翌日に響いたりする。同じ人でも、その日のコンディションで必要な強さは変わる。
これは生活全般にも当てはまる気がする。元気なときに合う食事と、疲れているときに合う食事は違う。元気な日に楽しい予定が、疲れている日には負担になる。同じ自分なのに、求めているものがまったく違う日がある。
そのときの自分に合うやり方を選べるかどうかは、自分の状態をちゃんと把握できているかにかかっている。気合いでなんとかしようとせず、今日の自分はどのくらいの強度に耐えられるのか、と素直に聞いてあげる。それだけで、無理のかかり方がだいぶ変わる 🍃
控えめな人の控えめな喜び
05/19 08:56 更新
リアクションが大きい人は、見ていてわかりやすい。喜びも、驚きも、感謝も、ちゃんと言葉と表情で伝わる。一方で、控えめな人の感情は、こちらが注意していないと見逃してしまう。ほんの少し口角が上がる、声のトーンが半音やわらかくなる、まばたきの間隔が長くなる。
派手な反応がないからといって、感じていないわけじゃない。むしろ控えめな人ほど、内側ではちゃんと豊かに感じていることが多い。それが外に出てこないだけで、本人の中ではしっかりと味わわれている。
だから誰かに何かをしてあげるとき、相手のリアクションの大きさで満足度を測らないようにしている。小さな変化を見落とさないこと。そのほうがたぶん、たくさんの人に丁寧でいられる ☁️






















































































































































































































