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写メ日記

全60件中1~10件を表示

あきらの投稿

カタヌキヤのパンダバウム!

11/18 01:08 更新

綺麗に抜けました~。
味的には普通。
でもバウムクーヘンは美味しい食べ物なので、普通という事はつまり美味しいという事です。
他のバウムと比較して特別すごく美味しい!という事はありませんが、バウムとはそういうものなので問題ないでしょう。

何故バウムクーヘンでパンダで型抜きなのか…。
全く何にも掛かってないっぽくて謎ですが。

「映え」が重要視される現代。
ちょっとしたアイディアやアピールの仕方で売れてしまったりします。
質の高いものが、それに相応しい評価を受けるとは限りません。
内容が良くても、存在している事を周知すらされていなければどうにもならないのです。
これを理不尽と捉えることも出来るし、チャンスと解釈することも可能でしょう。

僕はどちらかというと、能力の高さで真正面から勝負できるタイプではなく、搦め手を含めたアイディアで勝負するタイプ。
でも正確に言うと、アイディアを思いつくも勝負できないタイプ…。
これはけっこうコンプレックス。

皆が同じ事をしていると萎えるし自分は違う事をしたくなる。
でも奇抜な事をして目立ちたいわけじゃないし、むしろ目立つのは好きじゃない。
頭の中で色々なアイディアが思いつくも実行に移すことができないのが、我ながら面倒くさいし損してるなぁって思う!

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ピスタチオ

11/16 02:04 更新

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サンマルクカフェの期間限定メニュー「ストロベリー&ピスタチオアイスのX'masケーキパフェ」
緑×赤の鮮やかな色彩が、一足早くクリスマスの気分を盛り上げる。
ピスタチオは香ばしくてまろやかで、ストロベリーの酸味を際立たせる。
スポンジ生地も相まってパフェありながら、まるでショートケーキのような食べ心地。

それにしてもピスタチオはいつの間に定着したのだ?
今となってはピスタチオを使ったスイーツ系のメニューも珍しくないが、少し前まではお酒を飲みながらちょっと摘まむものという印象だった。
しれ~っと当たり前のような顔をしてスイーツ業界に居座っているけれど、僕はまだヤツのことは認めていないよ!

あとアボカドもね。
アボカドの存在を初めて知ったのはカリフォルニアロールだったと思う。
当初は正直あまり印象は良くなかった。
コイツも知らぬうちに、エビのベストパートナーですみたいな顔して幅を利かせてやがる。

気が付いたら定着しているものって、よく考えるとなんかちょっと怖いよね。
僕は未だにアディショナルタイムじゃなくてロスタイムって言っちゃう。
野球のカウントも、僕の記憶ではストライク・ボール・アウトの順番で言ってた気がするけど、いつからかボール・ストライク・アウトの順番になってる。

プレステのコントローラーも日本では〇ボタンが決定で×がキャンセルだけど、アメリカでは逆らしい。
たぶんこれも知らぬ間に×が決定で〇がキャンセルになってそう。

さて。
僕はこのお仕事を始めて、11月で4クール目に突入しています。
当HPの年代別キャスト一覧は入店順に並んでるんだけど、30'sセラピストページの中ではだいぶ中段の位置まで下がってきました。
いつまで続けられるか…って気持ちで始めたけど、なんだかんだでいつの間にか定着しちゃっててちょっと怖いですね。

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脳みそフカヒレ野郎

11/13 01:20 更新

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『セーヌ川の水面の下に』はNetflix制作のフランス産サメ映画である。
舞台はパリ。
環境汚染の影響で巨大化したサメがオリンピックを目前に控えたセーヌ川に迷い込む。
海洋学者はサメの危険性を主張するも、オリンピックによる経済的利益を優先する市長は事態の公表を拒否。
主人公たちは秘密裏の対応を迫られる…。

近年のサメ映画界隈は「サメをお題にした大喜利」と化していたが、その中では極めてマジメ路線で、ネタ的な楽しみ方以外でも視聴に耐えうる良作。
とは言ってもサメ映画ではあるので、細かい部分のツッコミ所は見て見ぬフリをするのが大人のマナーだ。

過去のトラウマを乗り越えようとする主人公。
同じく後ろ暗い過去を持つ警官との出会いと成長。
事態を悪化させるバカ環境活動家。
市の利益しか考えられないアホ市長。
忠告を聞かない軍。

サメ映画として抑える部分は抑えつつもオリンピックイヤーに便乗する強かさと手堅さがあり、なおかつ他のサメ映画と差別化する要素もふんだんに盛り込まれている。
サメ映画初心者にも上級者でもそこそこ楽しめることだろう。

ひとつ気になったのは、サメ映画といえば「水中=圧倒的不利」という構図による緊張と緩和が重要である。
水上にいれば比較的安心だし、水中に入れば極めて危険だ。
だからこそいかにして登場人物を水中に叩き落とすか。
あるいは水中に潜らざるを得ない状況を作るのがシナリオの要だ。

だがこの映画では序盤からずっと、サメのいる水中に潜ることへの危機感がまるでない。
一応、サメは人間側から何かしない限り理由もなく襲ってくることはないと作中で説明されているが、それにしたって緊張感が無さすぎる点は少し残念。

気取ったタイトルつけやがってこれだからフランス映画は!って思っていたが、このタイトルで正解。
サメ映画ではあまり見かけないタイプの結末も良かった。
 

↓はサメ…ではなく、マグロとのツーショット。
靴の高さ、髪の毛のボリューム、カメラの角度的に、この写真だと180後半くらいありそうに見えますが、実際にはそんなにありません。
最近測ってないけどプロフの表記通り178cmはあると思う。

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No Way Out

11/11 01:03 更新

最近見た映画でお気に入りなのは韓国の「犯罪都市」シリーズ。
韓国を舞台にしたクライムアクション映画で、実在の事件に着想を得て制作されているらしい。
が、そんなことはどうでもよい。
主演のマ・ドンソクが悪い奴をぶん殴ってハイおしまい!って感じの映画。
こういうの大好物です。

近年ではシュッとしたマッチョが持て囃されており、セガール系ムチムチマッチョ激強オジサン俳優が不足している。
熊のような体格のドンソク兄さんの活躍はとても喜ばしい。
エクスペンダブルズとか出て欲しい。
あと吹替声優が小山力也なのも最高。

ところで韓国のアクション映画ではナイフの代わりに手斧がよく使われているような気がする。
何か文化的な意味はあるのだろうか?

韓国手斧事情に詳しい方からのご指名やDM大歓迎です。
【東京/千葉萬天堂】あきら のXアカウント

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邦画への苦手意識

11/09 22:44 更新

よく「キムタクは何を演じてもキムタクにしか見えない」という意見を聞く。
故に演技が下手である、と概ねネガティブな意味合いで言われているようだ。

僕は木村拓哉さん以外も全員、その人にしか見えない。
役所広司さんは役所広司さんだし。
香川照之さんは香川照之さんだし。
堺雅人さんは堺雅人さんだ。
山﨑賢人さんは天下の大将軍を目指す中華の少年には見えないし、北海道の金塊を探す不死身の元軍人にも見えない。
山﨑賢人さんは山﨑賢人さん以外の何者にも見えない。
女優さんも然り。

僕には役者本人以外の誰かに見えるという感覚が分からない。
「役者」という職業に対して、あるいは「演技」という行為に対して、理解が絶望的に足りていない。
「演技が上手いか下手か」の評価が出来ないというより、そもそも「演技が上手いか下手か」という価値観が無く、そういう見方が出来ない。
もちろん言わずもがな、これは俳優さん達の演技力の問題ではなく僕の感性の問題である。
子供の頃からそうなのだ。

東京03のコントは面白いと思う。
でも彼らのコントを見た人達は、二言目には「演技力があって」と評価する。
それを言われた途端に僕は疎外感を覚えて、気持ちがスン…ってなってしまう。

ではなぜ洋画は観れるのか。
もはや役者の存在そのものがキャラクターのようなものと認識しているからだと思う。
ブラッド・ピットは役を演じなくても、もはやブラピというキャラであり、ほぼフィクションに近い存在のように感じる。

邦画にも面白い作品はたくさんあるはずなので、抵抗なく観れるようになりたいのだが…。
この感性は後天的に調整することは可能なのだろうか!?


「生まれて初めてリンゴを見た人」を演じている僕以外の何者でもない僕。
そしてヨーグルチョコ味のリンゴ飴。

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バター醤油めがね

11/08 00:50 更新

一昨日の夜ご飯。
焼きとうきびとチーズの醤油バターオムライス!
そりゃコーンでチーズで醤油でバターでオムライスなのだから美味しくないわけがないのだ。
メニューの写真を見て想像した通りの味で、やっぱりそりゃそうだよねって美味しさだった。
醤油とバターで炒めたら何でも美味しい。
そりゃそうだよね。

でも美味しさに呆けて、お気に入りの眼鏡をお店に忘れてきてしまったのよ。
ちゃんと忘れ物として保管してくれてたので、今日はそれを回収してきた~。
 

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アニメとか声優の話

11/05 02:57 更新

アニメは好きで昔からあれこれ見ているけれど、そのわりには声優への関心は薄い。
まずキャラを好きになって、その役を演じているからという理由で声優を好きになることはあるけれど、声優単体で誰かのファンになったことは無いかも。

声優ファンに怒られそうだけど、今の声優は「声の俳優」というより「ナレーター」や「キャスター」に近い気がする。
ニュースキャスターも「動物園のサルが脱走したニュース」と「有名人が病死したニュース」とでは声色を使い分けるが、今の声優がやっていることはそのバリエーションのように感じてしまう。
こういう場面ではこういう声の出し方、こういうキャラはこういう話し方、というのがパターン化されていて、誰がやっても同じように聞こえる。
声優の演技がどうこう以前に、そもそもキャラクターがパターン化されているから仕方ないのかもしれないけれど。
「演技や表現」ではなく「技術と知識」って感じ。
もちろんそれはそれでプロフェッショナルで素晴らしい事ではあるのだけれど。

これは声優の問題ではなく、ここ10数年のアニメ業界の流れからして当然のことなのだろう。
昔はオリジナルアニメが多かった。
原作が無いのでキャラのイメージは制作陣の頭の中にしかなく、声優の演技によってキャラが構築されていった。

今のアニメはほとんどが漫画やノベル等の原作付き。
ネットの普及もあって、アニメ化する前からキャラのイメージがファンの間で完全に出来上がって共有されている。
今の声優に求められるのは、そのイメージを壊さないこと。
「イメージとは違ったけどこれはこれで良い演技」「そういう解釈もあったか」という評価のされ方はほとんど無い。
「キャラ」への解釈ではなく、「ファンがキャラをどう解釈しているか」への解釈が求められている。

あと1クールのアニメが多いから、一人のキャラにわざわざ時間をかけて掘り下げていられないという事情もありそう。

悟空とルフィの声優が入れ替わったらたぶんキャラのイメージは全然違うものになるだろう。
でも竈門炭治郎とエレン・イェーガーの声優が入れ替わっても、それぞれのキャラに合った演技を器用にこなして、キャラのイメージ自体はほぼ変わらない気がする。
どのキャラを誰が演じても同じようなイメージになると言う事は、それだけ演技の幅が広くて、若手声優全体の実力が底上げされているということだから良い事なのかもしれないけど。

どちらが良い悪いという話ではない。
声優として上手い下手という事でもない。
ベテラン声優さん達は口を揃えて今の若い声優は上手いと言っているし、実際にそうなのだろう。
ただ僕はやはり、声優の演技によってキャラのイメージが肉付けされていく昔の声優が好きだな。
あと声優はあまり顔を出さないでほしいタイプなので、アイドル活動してなんぼの今の声優さんはちょっと興味を持ち辛い。

ちなみに僕が一番好きな声優は『機動戦士Ζガンダム』カミーユ・ビダン役の飛田展男さん!
ただ単純にカミーユが好きなだけ。
僕が今まで観たアニメ、映画、漫画、小説、ゲーム、ドラマ、あらゆる媒体の全てのキャラクターの中で、カミーユ・ビダンがダントツで一番好き。

一昔前に比べると、アニメを見る本数はだいぶ減った。
今季は「ダンダダン」「BLEACH千年血戦篇」「ドラゴンボールDAIMA」くらいしか観てない。
ジャンプ系ばっかりだね。
そもそも何やってるのかも全然知らないや。
オススメのアニメあれば教えて~。

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「ブイ・トゥギャザー!」

11/04 01:31 更新

「レッツ・ボルトイン!」

たとえ あらしがふこうとも
たとえ 大波あれるとも
こぎだそう たたかいの海へ
とびこもう たたかいのうずへ

言わずもがなボルテスVのOPである!
もちろんご存じよね?
フィリピン国民の9割が歌えるのに、日本人が知らないって事はないでしょう。

「超電磁マシーンボルテスV」とは1977年に放送されたロボットアニメである。
ボアザン帝国の侵略から地球を守るべく戦う正義のスーパーロボット・ボルテスVとそのパイロット5人組の活躍を描く。
ボアザン帝国は角の有る者は貴族、角の無い者は労奴という差別社会。
当時のロボットアニメとしては珍しく、敵側を掘り下げるドラマ性の高さもあり、大人の視聴にも耐えうる作品となっている。

そしてボルテスVと言えば何と言ってもフィリピンでの異常人気である。
フィリピンで放送された当時は、マルコス大統領による特権階級を優遇する独裁政権の真っただ中。
角の有る無しだけで差別される理不尽を否定し、特権階級にふんぞり返る悪を正義の力で打ち砕くという、ボルテスVの反体制運動的なストーリーがバカ受けしたのである。
クーデターの機運を高め兼ねないと危惧してなのか、政府は最終回直前でボルテスVのテレビ放送を中止するなど社会に大きな影響を与えた。
なんでもフィリピン人の多くは、OPの「ボルテスVの歌」を日本語で歌えるのだとか。
OPを歌唱した堀江美都子さんがフィリピンへ行った際には国賓待遇だったらしい。

そんなフィリピンの大きすぎる【愛】で、半世紀の時を超えて実写映画化されたのが「ボルテスVレガシー」なのだ!

いやぁ、なんかもう凄かった笑
ボルテスVを好きな人が、ボルテスVが好きな人に向けて作った映画って感じ。
色々と雑過ぎるけど、それすらも「70年代のスーパーロボットアニメってこういうノリだよね~笑」って楽しめる人にとってはたまらない作品になっている。
正直、ハリウッドの最新CGに比べると安っぽいのだが、それすらも「70年代のスーパーロボットのチープさ」を表現していると解釈できて、ファンとしてはニヤニヤしてしまう出来である。
ことあるごとに色んなアレンジの「ボルテスVの歌」が挿入歌として流れるのも非常に良い。

ちなみに僕は最初の合体シーンで号泣してた。
当然、合体時にも「ボルテスVの歌」が流れるわけだが、これが日本語の歌詞なのよ。
日本公開版だからというわけではなくて、フィリピン公開版でも日本語の曲を流してるんだって。
愛が徹底してるね。

結論として、ボルテスVに興味が無い人は間違っても観に行っちゃダメ。
ちなみに僕は映画を一人で観る時は一番後の一番端の席を取るタイプ。
そんなことより僕とブイ・トゥギャザーしてレッツ・ボルトインだッ!!

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10月は12回日記を更新しよ~(12/12)

10/31 17:44 更新

ネガティブよりポジティブであれ。
自己肯定感は低いより高い方が良い。
まったく…、世の中の押しつけがましい風潮を感じるな。

僕が神と崇めて尊敬している人が二人いる。
プロレスラーのアントニオ猪木さんとアニメ監督(機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオンなど)の富野由悠季さんだ。
二人に共通するのは「ネガティブな感情を原動力にしている」という点。
怒りや悲しみ、妬み、不平不満をエネルギーに変換した時に最高のパフォーマンスを発揮する。
ネガティブかポジティブかは重要ではなく、それをいかに解釈するか。
それによってもたらされる効果に目を向けたい。

究極の自己肯定感とは「存在するだけで自分には価値があると思えること」だと思う。
「ありのままの姿見せるのよ」「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」などの歌詞が持て囃されるのも、「存在するだけで価値がある」と思い込みたい気持ちに付け込んでいるから耳障りが良いのだろう。
でもそれらのメッセージは、解釈によっては向上心の否定とも取れる。

僕がどちらかと言えば性悪説寄りの考え方だからなのかもしれないけれど、本当にありのままで良いのか?と思ってしまう。
歩きながら煙草を吸うのも、道端に痰を吐くのも、店員さんに横柄な態度を取るのも、ありのままの姿なわけだが?
僕はそれらを肯定するつもりはまるで無い。

ちなみに僕は10代の頃、「ナンバーワンにならなくても良いって歌ってるそいつらナンバーワン国民的アイドルグループやぞ!?悔しくないのか?馬鹿にされてるんだぞぉ!?目を覚ませッ!!立てよ国民!!!」ってブチギレてた。
今はそれほど苦手意識ないけど、でもやっぱりちょっと苦手な曲かも。

女風のキャストにおいても、ネガティブよりポジティブであれという空気を感じる。
そりゃ後ろ向きな事ばかり書いている人よりも、前向きな発信をしている人の方が魅力的だろう。
だが改めて今一度よく考えてみよう。
本当のポジティブとはなんなのか。

「登録さえすれば自動的に指名が入る」という思考こそ本当のポジティブである。
「ただ存在するだけでお金を払って会うだけの価値が自分にはある」と思えるのは自己肯定感の高さだと思うが、それが良い方向に作用していると言えるだろうか。

僕はネガティブで自己肯定感が低い。
ただ存在しているだけでは自分に興味を持ってくれる人なんているわけがないと思っている。
これだけ多くのキャストがいる中で、ありきたりな事をしていても「会いたい」と思ってくれる人なんていやしない。
だからこそ、少しでも目に付くように長めの日記を書いてみたり、他の人があまり書かなそうなことを書いてみたりするわけ。

「登録さえすれば自動的に指名が入る」というポジティブな考えで何もせずに指名が入らず3ヵ月で辞めていく人も多い。
その中で僕は、ネガティブだからこそ興味を持ってもらう為に自分なりの工夫をしてそれなりに続けられている。
ポジティブであるかネガティブであるかは、たいした問題ではない。
それをどう解釈して、パワーにするかなのである。

つまり僕が言いたいのは、「自己肯定感の低い自分」を否定しなくても良いということ。
「自己肯定感を高める方法」を考えるのも良いが、「自己肯定感の低い自分をどのように解釈するのか」という考え方があっても良いだろう。

無理してポジティブになろうとするよりも、ありのままの姿を見せて欲しい。
自己肯定感の低い性格も込みで、もともと特別なオンリーワンなのだから。

…あれ?
奴らを否定するつもりだったのに、いつの間にか肯定してしまっている!?

結局のところ何事も解釈次第なのよね。
僕にとって「ひねくれ者」とは、その解釈の選択肢を広げることだと思っている。
「ひねくれ者」というどちらかと言うとネガティブな性質も、このように解釈次第ではポジティブな要素になり得るわけ。
ネガティブとかポジティブとか線引きをすること自体がナンセンスなのかもね。

でも顔が良い奴は、存在するだけで価値があるのかもねッ!
まったく!!
やってられんよな。

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10月は12回日記を更新しよ~(11/12)

10/28 01:42 更新

癒されたいですか?
寄り添って欲しいですか?
…そうですか。
そういう人が見つかると良いですね。

僕は「癒します」「寄り添います」とは言いません。
性感マッサージって何するんですか?と聞かれれば、何をするのか具体的に文章で説明することができます。
癒すって何をするんですか?
寄り添うってどうするんですか?
僕には答えられないので。
文章化できない事は言わないようにしてます。

そもそも現時点で「貴女」がどこの誰なのかも知らないのに、癒すも寄り添うもないと思ってます。
寄り添いたいという気持ちはあるけれど、でも誰が相手でも寄り添えるわけではないのです。
もし「貴女」の抱えているものが宗教的・政治的なものであれば、たぶん癒せないし寄り添えません。

僕はヴィーガンではない。
でもヴィーガンに寄り添う事は出来ます。
だがもしケンタッキーでデモ活動して他の人に迷惑をかけるタイプのヴィーガンだとしたら、寄り添わないし、寄り添えないし、寄り添うつもりもありません。
線引きは確実にあります。
無条件に寄り添うと言う事は、相手は誰でも良いということであって、僕の考える「寄り添う」とはむしろ対極にあることなのです。
これを読んでる「貴女」がどこの誰なのかも分からない今の時点で「寄り添います」だなんて迂闊な事は言えません。

そもそもこれを読んでいる「貴女」なんて存在しないのかもしれません。
「無」を癒す事も寄り添う事も不可能ですよね。

僕が思うに、「寄り添う」とは、まず誠実であること。
その為に僕は、不特定多数の架空の「貴女」に対して根拠もなく「寄り添います」などと言うつもりはありません。
お会いして顔を見て名前を呼んでお話して、生身の貴女と真正面から向き合う事が僕にとっての「寄り添う」という事です。
「寄り添います」と言わないことこそ、僕の寄り添い方。

ところで。
子豚カフェに行ったことはありますか?
癒しが欲しいのであれば…。
寄り添って欲しいのであれば…。
行ってみるのをオススメします。
人懐っこいとは聞いていたけれど、想像をはるかに超えるイチャ甘でした。

僕は猫が好きなので猫カフェには何回か行ったことがあります。
兎カフェも1度行きました。
でも豚カフェは他では味わえない感動があります。
普通に座っているだけで、子豚ちゃん達が寄ってくるのです!
1匹寄ってきたら釣られて何匹も来ます。
最大で8匹くらい体の上に乗ってました。
重かったけど可愛かったです。

猫カフェでは自分から猫ちゃんを触りに行って、でもそっぽ向かれるのが普通です。
まぁ猫様はそれはそれで可愛いので良いのですが。
子豚カフェの場合、僕は座った状態で全く動きませんでしたが、滞在30分のうち29分18秒くらいは常にずっと子豚ちゃんが傍にいてくれました。
とても癒されたし、(物理的に)寄り添ってくれました。
めっちゃオススメ!

あと久しぶりにサイゼリヤの「プリンとティラミスクラシコの盛り合わせ」を食べましたが美味しかったです。

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