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写メ日記

全33件中21~30件を表示

世界の投稿

🌸

04/01 21:52 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

今日から4月ですね。

新年度を穏やかに迎え入れてくれるように、気温も急に暖かくなったような気がします。

 

いかがお過ごしでしょうか?

 

私ごとですが、セラピストというお仕事を始めてから、半年が経過いたしました。

 

たくさんのお客様とお会いすることができる、とても素晴らしいお仕事だと思っています。

 

お客様とのコミュニケーションをもっと気軽に取れるように、最近はツイキャスの配信を始めました。

 

 

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昼の部と夜の部で不定期に行っていきます。

配信日時はXで告知してまいりますので、ぜひ気軽に遊びに来ていただけると嬉しいです。

 

世界

配信のお知らせ

03/28 08:38 更新

世界の皆さん、おはようございます🌏

 

3月29日(金)22:00〜23:00

ツイキャスにて配信を行います。

 

質問など受け付けますので、お気軽にご来場くださいませ。

ゆるい雑談ですが、トピックとして偉人の名言を取り上げながら進行します。

毎日忙しい皆様に刺さる言葉がありますように‥。

 

定刻になりましたら、Xのアカウントにリンクを投稿します。

 

世界

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時間は原資である

03/16 11:51 更新

世界の皆さん、こんにちは🌎

(以下、いつにも増して自己満足日記ですのでご容赦ください。笑)

 

人生は決断の連続でありますが、自分の決断が果たして合っていたのかどうか、振り返って答え合わせをしたくなるときがあります。

 

今、「そんなことある?」って思った方は、

 

現状を受け入れる能力が極めて高い、

事態を許容できる器が大きい、

目指すべき目標地点まではすべて過程であると割り切っている、

 

そんな心持ちが常なのだと思います。

そういう方の場合は振り返ったりすることはないのかもしれません。

 

が、ほとんどの方は少なからず「これで良かったのか?」と考えて振り返ったことがあるのではないでしょうか。

 

そんなとき、僕たちは未来の予測に基づいて評価(振り返り)しがちではないですか?

 

未来は予測不能であり、その結果を決めるには「今」以降という極めて不確定な要素に左右されます。

「未来がこうなるかもしれない」→「だからこの決断は間違っていたんだ」で一喜一憂するのは、実は筋が通っていないと僕は思っています。

 

僕はむしろ、その決断をするに至った、「時間」や「決意」に対してリターンできているか、で評価すべきと考えます。

 

 

 

「時間は有限である。」 よく聞く言葉ですね。

では何故、時間が有限であると認識しなければならないのでしょうか。

 

「時間」は「観測」とセットです。

「観測」すなわち、事象が変化することこそが時間の経過を意味します。

時計の針が一分一秒と右へ動くこと、これが一番わかりやすい例でしょう。

 

我々人間に置き換えるとどうでしょうか。

観測の最終地点、そこには「死」があります。

時間の経過とともに、我々は年老いていずれ生命が途絶えます。

そうなれば、全てを知覚することができなくなります。

己という存在すら知覚できなくなるのです。

そこに確かに「有」であった自分が「無」になる。

「無になる」とは「無」が「無」であることすら認識できなくなるということです。

 

全てを知覚できる「今」が永遠ではないこと、それを心しておくために、時間が有限であると認識しておくべきなのでしょう。

 

 

話を戻しますが、

自分が今いる地点は、決断の連続で自らが選んだ地点です。

人生の限られた「時間」を投資して、そこに立っているわけです。

決断するにあたり、悩んだ時間、決めた覚悟、過去の自分が未来(今)の自分に託した期待があったはずです。

 

その過去の自分の期待にリターンできているか?

そこで評価する方が、明確だし筋が通っていると思うのですがいかがでしょうか。

(そんなことよりラーメン食べたい)

世界

 

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春爛漫

03/11 19:48 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

プロフィールの写真を一新しました📸

Twitterにてムービーも公開しております🎥

春らしい素敵な景色ばかりです🌸

是非ご覧下さいませ✨

 

世界

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🥛

03/07 21:53 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

食べ物にはほぼ好き嫌いがなく、いろんな料理を食べることが大好きですが、飲み物は水かブラックコーヒーしか飲みません。

その二択なので、自動販売機でのシンキングタイムはほぼ0秒です。

 

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新しくチャレンジすることは大事ですが、日用品や嗜好品などは自分のマスターピースを決めておくと、日々、脳のリソースを節約できますね🧠

生産的なことに「自分」という資源を使っていきましょう👌

 

世界

life

03/06 21:31 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

人生はどれだけ健康に生きても100年弱。

来世とやらがあるのかもしれませんが、僕は前世の記憶を持っていないので、やはり今のこの人生に後悔がないように生きたいと思うわけです。

 

年齢的に同級生たちの結婚や出産というおめでたいイベントごとが最近は多いのですが、こうやって友人の子どもを抱っこさせてもらうと、

 

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生命の尊さを感じます。

そして、この子と同じく赤子だった僕を育ててくれた両親へ感謝の想いを伝えたくなります。

自分の人生を振り返ると、素敵な家族、友人、環境に恵まれ、いろんなことにチャレンジできていると思えます。

 

何事も遅すぎることはない。

限りある人生を

実りある時間に したいですね。

 

あなたの人生はあなたのもの。

嬉しくて感動した瞬間も、辛く苦しかった期間も、その全てがあって今の自分を形成しています。

その経験が、誰かのためになることだってあるかもしれません。

 

起こりうること全てに意味はある。

命が尽きる最後の瞬間に自分の人生を振り返った時、その思い出の数々が僕たちを安らかな世界へ誘ってくれるはずです。

そして、自分が存在しなくなった世界へ文化や想いを紡ぐこと、それはすごく素敵なことです。

 

世界

音楽は何者?

02/27 23:38 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

音楽、歌、曲。

 

皆さんは好きですか?

僕は大好きです。

 

作家の伊坂幸太郎さんの作品が好きで一時期よく読んでいたのですが、彼の作品では所々に音楽の要素が隠されています。

 

以下、ネタバレ注意です。笑

 

彼の作品の中で「音楽」がオチに使われる作品があるんですね。

処女作の「オーデュボンの祈り」という作品です。

ざっくり要約すると、異世界に迷い込んだ主人公(って言うと最近のライトノベルみたいですが、もう20年以上前の作品です。)が、その世界で起きた殺人事件の謎を解き明かすという内容です。

ちなみに、不思議な異世界が舞台なので、殺された被害者は畑に刺さっていた案山子です。

 

ミステリー小説なので、その事件を解決することを本筋として物語は進んでいくのですが、主人公が途中である違和感に気がつきます。

自分が今まで暮らしていた人間界と、迷い込んでしまったこの異世界では「何か」が大きく違うと気がつくのです。

 

要所要所にその表現を挟みながら、ラストシーンで「この世界には音楽がなかった」と気がつく、というオチです。

 

音楽というものは確かに、衣食住には含まれず、僕たちの生活にはお世辞にも「必要」とは言い難いものです。

しかしながら、時に感情を揺さぶられ、自分を前向きにも後ろ向きにもさせたり、様々な作用を人間にもたらしますよね。

更には、物体として存在するわけではなく、「音」という無形で滞留することのできない手段を介して、初めて知覚することができます。

その組み合わせで、僕たち人間は気分を高揚させたりすることができるわけです。

 

生命を維持するにあたり無駄のない構造となっている僕たちの人体、その中にこの機能はいったいなぜ備わっているのでしょうか?

そう考えると極めて不思議で、面白いですね。

 

世界

 

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🦷

02/24 18:31 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

3ヶ月に一度歯科検診に通っているのですが、僕が通っている歯科医院は衛生士さんが患者ごとの専任制になっています。

 

今月から担当の方が変わり、今回で3人目の方となります。

前の前の方は退職され、

前の方は産休に入られたそうです。

 

新しく担当になってくれた歯科衛生士さんは今までで1番、お上手でした。

 

歯のクリーニングの技術的な差異は正直あまりよくわからないのですが、上手な人にやってもらっていると眠くなります。

 

あえて失礼な言い方をすれば、自分の口の中を赤の他人に任せているわけです。

その状態で眠くなれるって、結構な安心感だと思うんですよね。

 

美容院とかでも、特定のアシスタントさんのシャンプーだと寝ちゃう!とかありますよね。

 

僕たちセラピストも、眠らせるくらいの質のマッサージを提供できるような技術は備えていたいですね🖐️

 

余談ですが、「健康第一」と言って健康診断を定期的に受けられている方は多いと思うのですが、僕はそこに「歯」の概念も含めるとより良いのかなと思います。

 

だって、いくつになっても美味しいものを食べたいじゃないですか。

 

博多ラーメンはいつもバリカタです🍜

 

世界

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死神は実在するか?

02/04 21:42 更新

世界の皆さん、こんばんは🌏

 

数年前、母が病気で他界して遺品整理をしていたときのこと。

生前に母が使用していたiPadのメモ帳アプリに、僕や家族に向けた遺書が記されており、それを読んで嗚咽した。

人生で最も泣いた数時間が過ぎ去り、しばらくして落ち着きを取り戻す。

メモ帳の中をさらに読み進めていると、日記として記されている内容のファイルがいくつかあった。

 

その中に「死神が見える」「死神が迎えに来ている」といった表現が複数見受けられ、その意味を考えていた。

 

僕はオカルトに肯定的なので、言葉の意味そのままを受け入れることもできたけれど、これはさすがに何かの比喩表現なのでは‥?と。

しかしながら結局、その意図は不明。

 

そこからまた数年、時が流れ、これは去年の話。

 

久々に実家に帰省した際、兄と2人で地元の温泉へ出かけました。

秋の肌寒い露天風呂で漆黒の夜空を眺めていると、ふと「死神」の文字が頭をよぎる。

 

そういえば、兄はあの日記を読んだのだろうか‥?

 

尋ねてみると、兄はその日記の存在すら知らず、読んでいなかったそうです。

(じゃあ遺書も読んでいないのか?って思ったけどそれは言わなかった。なぜならそのiPadのデータは父がすべて削除し、映画や音楽を楽しむため用に私物化されたから。笑)

 

そこで、死神という表現が多用された日記だったことを説明する。

その話をしながら、僕もふと昔の記憶が蘇りました。

 

高校生の頃、受験が終わってからはアルバイトにほぼ毎日出勤し、仕事終わりにそのまま外へ遊びに出掛け、深夜に帰ってくる日々が続いていました。

帰宅時、眠っている家族を起こさないように静かにドアを開け、リビングへ続く廊下をすり足で歩いていました。

ある日母から、僕のそのすり足について、「空き巣かと勘繰ってしまって怖いから、むしろ堂々と歩け」と言われました。

その時は笑いながら母と話していたのですが、「たまに絶対にあんたじゃない何かが歩いている気配を感じることがある」と言われました。

当時は気にしていなかったのですが、もしかしてそれも死神に関係しているのか‥。

 

その話も加えて兄に話すと、

 

兄「昔、うーん、俺が中学か高校のときだな。寝ているオカンのことを人間じゃない何かが直立して見下ろしているのを見たことがあるぞ😉」

 

‥?

 

‥‥?

 

そいつじゃね?

 

(※ノンフィクションです)

世界

 

喜◯哀楽

01/22 13:58 更新

世界の皆さん、こんにちは🌏

 

先日、ラーメン店でカウンターに座っていたら、若いアルバイトの方が冷水の入ったピッチャーを倒してしまい、僕の右膝から下がズブ濡れになる事態に遭遇しました。

 

こういうのって映画とかドラマのワンシーンでよくありますよね。

悪役の素行の悪さを表現するために使われていることが多い演出かなと思います。

「何してくれてんだぁ〜😎💢」って店員さんに因縁をつける構図ですよね。

 

格好つけるわけではないのですが、こういうとき、僕は1ミリもイラッとしないんですよね🤔

 

そもそもの大前提として、

「悪意のない不可抗力」ですよね💡

 

さらに付随して、

 

ただの水、衣類が変色することもない

冷水なので火傷もしていない

→(実害0じゃん)

 

当人が丁寧に謝罪してくれた

その監督者であるオーナーも謝罪してくれた

→(すごく丁寧なお店、また来たいな)

 

高校生くらいであろうアルバイトの方の1つの社会経験になったかも

→(えっ、むしろ他者や社会にプラスかも!?)

 

って本気で思います。

超・前向き思考なのは自他共に認める僕の長所です。

 

詰まるところ、この事象で怒る人って文字の如く「怒💢」の感情が前面に出ていると思うのですが、

喜怒哀楽の中で「怒💢」だけは自分でコントローラブルにできた方が幸福度高いと思うんですよね🤔

 

自分や大切な人が、明確な悪意に基づいて心身を傷つけられる場合には、「怒💢」を発生させるべきだと思います🙆‍♂️

悪意の発信源に対して大きな抑止力になりますから。

 

でも、それ以外の大多数の場面(つまり悪意がない場合や明らかな不可抗力)で、「怒💢」を発生させる必要ってないと思うんですよね。

いや、本当に!!!

 

 

場面は変わって、どこかのオフィス🏢

 

上司が部下に向かって大声で叱責しています。

上司は顔を真っ赤にして、ついには部下の人間性まで否定しはじめました。

これも日常でよく見る場面ですね👨‍💼👩‍💼🧑‍💼

 

起点として、部下が何か職務上の失敗をしたのは間違いないでしょう。

ただし、そこに上司の「怒💢」の感情を乗せる必要は果たしてあるのでしょうか?

 

僕も曲がりなりに自分で部下を抱えて事業を起こしているので語る資格はあると思っているのですが、この場面において上司に求められることは2点だけ。

 

失敗の影響度合いを算定し、必要な対策を講じる。

失敗に至った理由を明確にし、以後同じ失敗が発生しないための再現性を組織で作っていく。

 

改めて文章にすると、そもそも感情を乗せる必要性は1ミリもないわけです。

つまり怒っていること自体、怒っている側のエゴの押し付けだということですね🤔

 

こんな感じで色んな思考実験(と言うには大袈裟ですが)を考えて、理屈で腹落ちさせちゃうと、自分の人生において「怒💢」の登場回数はほとんどなくなります。

僕がほぼそうなっているので、実証済みです😌

 

「怒💢」が少ない生き方、結構快適ですよ。

 

世界

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