※物語の内容に少し触れています。
村上春樹の『ハナレイ・ベイ』を読んだ。
そのあと、映画も観た。
小説を読み終わったとき、僕の中にいちばん残ったのは「悲しい」という感情より、時間についてだった。
息子は19歳で死ぬ。
彼の時間は、そこで止まる。
でも母親であるサチの時間は止まらない。
翌朝もやってくるし、ご飯も食べなければならない。仕事もある。歳も取る。
19歳だった息子は永遠に19歳なのに、母親だけが20年、30年と、その先へ行ってしまう。
人が死ぬということは、その人がいなくなるだけではないのだと思った。
残された人は、その人のいない時間を生き続けなくてはならない。
それが、この物語を読んで感じたことだった。
そして、もうひとつ気になったのが「片脚のサーファー」だ。
息子はサメに襲われ、片脚を失って亡くなる。
その後、ハナレイ湾では片脚の日本人サーファーを見たという若者が現れる。
けれどサチ自身は、その姿を見ることができない。
僕は、この片脚のサーファーを「欠落」や「インバランス」の象徴なのではないかと思った。
息子は身体の一部を失った。
そしてサチもまた、息子を失ったことで、自分の一部を失ってしまったのではないか。
もちろん、人間は誰かを失ったからといって文字通り身体が欠けるわけではない。
ちゃんと歩けるし、仕事もできる。
笑うことだってできる。
けれど以前と同じ人間かと言われると、きっと違う。
どこかがひとつ欠けたまま、生きている。
考えてみれば、人間はずっと「完全な自分」のまま生きているわけではない。
恋人と別れたり。
大切な人と疎遠になったり。
家族を亡くしたり。
夢を諦めたり。
あるいは、昔の自分にはもう戻れないと気づいたり。
そのたびに何かを失う。
それでも、人生は続く。
欠けたところは完全に元通りにはならず、欠けたまま新しいバランスの取り方を覚えていく。
「立ち直る」という言葉は乱暴だと思った。
本当に大きなものを失った人は、元の場所には立ち戻れない。
だとすれば必要なのは、元に戻ることではなく、欠けたままでも立てる、新しい姿勢を覚えることなのかもしれない。
そして僕たちは、大切なものを失ったときに、その対象だけを失っているわけではない。
その人と行くはずだった場所。
話すはずだった会話。
一緒に歳を取った未来。
まだ起こっていなかった時間まで失っている。
サチが失ったのも、19歳の息子だけではない。
20歳になった息子も、
30歳になった息子も、
いつか少し大人になって、母親と普通に話せるようになったかもしれない未来も、
その全部を失っている。
だから、過去のある一点で起こったことが、未来まで奪ってしまう。
これが「取り返しがつかない」ということなのだろう。
そして、ここでもう一つ考えてしまう。
僕たちは、本当に身近な人のことを見ているのだろうか。
サチは息子を愛していた。
でも、息子という人間を好きだったかと問われると、簡単にはそう言えない。
母親だから息子のすべてを知っているわけではない。
恋人だから相手を全部理解しているわけでもない。
夫婦だからわかり合えているとも限らない。
相手に対して、
「この人はこういう人」
と決めてしまって、見えなくなる部分がある。
片脚のサーファーを見たのが母親ではなく、何も知らない若者たちだったという設定が、僕には少し象徴的に思えた。
もしかするとサチは、生きているときから「自分の息子」という枠を通して彼を見ていたのかもしれない。
そして彼が死んだあと、
自分の知らなかった息子が存在していたことに気づく。
でも、もう本人には聞けない。
「あのとき何を考えていたの?」
「本当は何が好きだった?」
人間関係でいちばん怖いのは、喧嘩することではなく、聞ける時間が永遠に終わってしまうことなのかもしれない。
セラピストという仕事をしていると、人と人の距離について考えることがある。
誰かの身体に触れることと、その人を理解することは、同じではない。
近くにいるからわかるわけでもない。
長く一緒にいるからわかるわけでもない。
この出会いだからこと築いていける関係もある。
大切なのは、
「目の前の相手と全力で向き合い続けること」
なのかもしれない。
恋人でも、夫婦でも、家族でも。
人は少しずつ変わる。
昨日知っていた人が、今日もまったく同じ人とは限らない。
だから僕は、この作品を死についての話であると同時に、
生きている人と、ちゃんと向き合えているか
という話にも感じた。
そして映画版でとても良かったのが、ハワイの風景だった。
これは文章では感じられなかったものだった。
海が、とにかく美しい。
陽射しも、空も、波も美しい。
なのに、そこで人が死んでいる。
この組み合わせが少し怖い。
人間にとって人生を二つに割るほど大きな事件が起こっても、海は翌日も波を作る。
十年経っても変わらず、サーファーはやってくる。
世界は、こちらの悲しみに付き合ってくれないのかもしれない。
でも逆に言えば、
こちらが立ち止まっていても、世界はずっと動いていてくれる。
映画でハワイの風景を眺めながら、そんなことを考えた。
風景そのものが、もうひとつの時計みたいだった。
人は何かを失う。
そして失ったものは、完全には戻らない。
でも、欠けたから人生が終わるわけでもない。
欠けた身体で、
欠けた心で、
僕たちは新しいバランスを覚えていく。
海は今日も波を作っている。
亡くなった人の時間は止まっても、
残された人の時間は続いていく。
それは少し残酷で、
でも同時に、
生きるということそのものなのかもしれない。